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バジリスク 小説 『残酷な夢』 ―改訂版―

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言い訳
ピクシブに載せるために加筆修正した際に、全体的に書き直したためこのような形で改めてサイトに載せました。
子供ネタがあります。











薄らぼやけていた視界が次第に焦点を結んでいく。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、我が家のように馴染んでいる恋人の家の天井。
隣にいる筈の姿がないのに気付いて、周囲に視線を巡らせた。
―夜叉丸どの?
意外と朝の早い彼はいつも彼女が目覚めるまで褥から離れず、添い寝したまま蛍火の寝顔を眺める事が常だった。
しかし、今はそれもない。
恋人は総領と共に大御所の御前で忍法上覧を行うために、先日伊賀を出立したばかりだ。
それならば、何故恋人の家でたった一人寝ていたのか。
幾ら思い起こそうとしても、今に至るまでの記憶が曖昧で霧の中に覆われているようだった。

意識がある程度明確になってから、漸く側に人の気配を感じ取った。
それは恋人の気配とは異なり、また記憶にある誰とも一致しなかったが、何故か馴染み深い気配だった。
一体誰かと、横目でそちらを見遣って、大きく目を瞠る。
そこにいたのは桜色の頬、燦々と輝く黒い瞳。肩下で切り揃えられた漆黒の髪。
夜叉丸と瓜二つの面差しの、幼いながらに秀麗な美貌の少女だった。
蛍火が目覚めたことに気づいた少女が、ホッと安堵の笑みを浮かべた。
「母上、起きられたのですね」
―母上!?
子供の口から放たれた衝撃的な言葉に頭の中が真っ白になるが、それはほんの束の間だった。
まるで頭の中で玉手箱が開き、煙が隅から隅まで満ちていくように。
許婚との祝言、それまでと同じようで違う二人の夫婦生活、時をおかずに娘が産まれたこと。死と隣り合わせの忍者である事を忘れてしまうほどの、親子三人での幸せな日々。
蛍火の中に今までの記憶が蘇り、何故忘れていたのかと、溜息を漏らした。
「急に倒れられたから、心配したんですよ」
「心配をかけましたね。 母はもう大丈夫ですから、安心しなさい」
慈愛に満ちた母親の顔で、愛しい人と瓜二つの娘の髪を優しく梳く。
細く癖のない、滝のように真っ直ぐ流れる艶やかで美しい髪。
何もかもが父譲りの中で、唯一母譲りの髪を持つ自慢の娘は、伊賀の美少女として誉れ高かった。
いつまでも寝たままではいられぬと、動かぬ体を起こそうと力を入れたとき、蛍火が何をしようとしているのか察した娘が止めた。
「母上。 今しばらく安静になさるように、と薬師が申しておりました」
微熱と共に、身体を動かすのも億劫なほどの倦怠感に苛まれて、今はまともに体を動かす事もできない。
そして、この症状に覚えがあった。

「夜叉丸どのは?」
「夜叉丸……? 誰ですか?」
娘が首を傾げた。
元服と共に改名しているのだから、娘が父の幼名である「夜叉丸」を知らないのも無理はない。
では、とその名前を口にしようとしたが、幾ら探せどもその記憶が見つからなかった。
元服してからの夫の名前が思い出せない、わからない。
ありえない事態に、不安と焦燥が胸の中で膨らんでいく。
「父上はどちらに?」
「………。 父上ならお幻様に呼ばれて、お屋敷に行かれました」
どこか釈然としない様子で娘が答える。
母が倒れてから、父は総領の使いの者に呼ばれるまで妻を案じ、側にいた。
けれど、母は目覚めてから聞き覚えのない男の名を口にしたり、何かどうも様子がおかしい。
娘が不安そうに顔色を暗くしたが、胸中の暗雲を振り払うように笑顔を貼り付けて、仰臥したままの母に掛け布をかけた。
「今すぐ父上が帰られるわけではありませんから、今は体をお休めください」
そう言われて布団の中に押し込められれば、起きることも出来ない。
ただでさえ夜叉丸そっくりの娘に弱い蛍火が、どんな願いであれ娘の願いを無碍にすることなど出来ないのだ。
理由の分からぬ焦燥が胸の内で燻り続けるが、娘の顔を見ているとそれも薄らいでいった。
やがて調子の外れた子守歌が聞こえて、蛍火が微笑んだ。
夫と同じように音程や節がずれているのが可笑しくて、何やら嬉しかった。



蛍火の意識が眠りの海に漕ぎ出した頃、微かな足音が聞こえてきた。
「父上、お帰りなさい」
睡魔に沈みかけている中、聞こえてきた娘の声に眠気は一気に吹き飛んだ。
弾かれたよう瞼を開き、娘の隣に座るその人の姿を瞳一杯に映しこむ。
―夜叉丸どの!!
年とともに秀麗さの中に精悍さも宿した美貌の青年。
いつもと変わらぬ伴侶の姿に何故か胸の奥が熱くこみ上げ、涙腺が緩む。
もう逢えないと思っていた愛しい人が、今目の前にいる。それだけで何もいらなかった。
―もう、逢えない?
今までずっと一緒にいたのに、これでは死に別れになったようではないか。
何故こんな不吉な事を考えてしまうの?
幾ら考えどもその答えは見つからない。けれども瞳は潤み、涙が止め処もなく流れ出して、終わりが見えなかった。

「蛍火、どうしたんだ?」
妻のただならぬ様子に困惑していたが、体を震わせて泣きじゃくる彼女を安心させるように抱き起こして、顔を胸に埋めさせた。
細身ながら逞しい腕の中に抱かれて、命の鼓動が伝わってくる。
彼が、生きている。
それだけのことが、この世の何よりも嬉しい。
頬を伝わる涙を隠すように胸に顔を埋めたままの妻の耳元で、夫は安心させるように語り掛けた。
夫の温もりと声に、妻も次第に落ち着きを取り戻して、全幅の安心を寄せて身を委ねた。
「夜叉丸どの…」
頬を紅潮させ、上目遣いで最愛の夫を見つめて、甘い声で名前を口にする。
途端、どこか困ったように苦笑したその顔に、思い出した。
夫が元服して新たな名前になってから、彼女がその名前で呼んだことは数えるほどでしかなかった。
物心つく以前から夜叉丸と呼び続けてきた蛍火にとって、彼は”夜叉丸”以外の何者でもなかった。それ故に元服と共に改名した新たな名は別人のようで、どうしても馴染めなかったのだ。
当初は名前を巡って幾度か痴話喧嘩をしたものの、結婚しているのだから”あなた”でいいだろうと彼が言った事で決着がついた。
そんな経緯があったことすらも、今さっきまで忘れていた。
明らかにおかしい。
何故、どうして?
疑問が胸中を竜巻のように激しく巻き上げていく。
不安と得体の知れない恐怖が膨れ上がり、理由のない衝動に突き動かされる形で、言葉が口をついた。
「あなた」
夫の手をとり、そっと下腹部へ導いた。
何事かと目を丸くしていたが、その意を悟って驚きに目を瞠り、喜びに満ち溢れていく夫の美しい顔に、蛍火の魂が満たされていく。
――この報せを、知らせたかった――
だけど、それは決して叶わぬ夢。
何故なら……。
「やや子が、出来ました」

大きな泡が弾け散るようにそれは唐突に終わり、跡形もなく消え去った。
幸せな夢想にふけていた意識が、突如として過酷な現実に引き戻された。
意識は混濁して、夢と現を彷徨う。
眼前に広がる光景に、自分が何処にいるのか混乱したものの、それはほんの僅かの間。

彼女がいるのは生い茂る樹木の下。
傷ついた足を庇いつつ木の幹に背を預け、雨から逃れるように休息をとっていた。

夢の中での幸せな記憶は瞬く間に薄れてゆき、それと引き換えに蘇るのは悪夢に等しい現実の記憶。
あまりも激しすぎる夢と現の落差。

肩を震わせ笑う声は次第に、己の愚かさを罵る嘲笑へと変わっていく。
太腿に傷を負い、鈴鹿越えの道中少し体を休めるつもりが、束の間の白昼夢を見ていたらしい。
あまりにも幸せすぎて、残酷な夢を。

いつしか嗤い声は、すすり泣く嗚咽に変わっていた。
小柄な身体を震わせて、何かに縋るように腕を抱き、その指先の冷たさに慄いた。

未だ雨は降り止む事を知らず。
風が勢いを増し、雨飛沫が蛍火の体を更に濡らしてゆく。

嗚咽を堪え涙を拭い去ると、その存在を確かめるように優しく下腹部に手を当てた。
まだ膨らみの目立たぬそこには、愛しい人の忘れ形見となった命が宿っている。
――やや子が、出来ました。
恋人が駿府より帰った後に、伝えるはずだった大切な言葉。
だけど、それはもう伝えられることはない。
何故なら、忌々しき甲賀者に。
――殺されてしまわれたから。

血が滲むほど唇を強く噛み締め、足を引き摺りながらも前へと踏み出す。
甲賀者の所在と共に、弦之介の瞳術を封じた事を一刻も早く仲間に伝えるために。

愛しい夜叉丸亡きこの世界で蛍火が生きていられるのは、甲賀者への復讐とまだ見ぬ我が子のため。
それだけ、だった。


言い訳
結構気に入っている話なので、改めて書き直せてよかったです。
掲載時より少し修正しています。
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